アステカは1428年から1521年までメキシコ中央部にあったメソアメリカ文明の国家。
言語はナワトル語。スペインに人に殲滅されました。
アステカと聞いて思い浮かぶのは人を使った儀式でしょうか。 当時アステカ含め周辺の国々は宗教的な関心が強く 「太陽は滅んでは生まれ変わってを繰り返している」と言い伝えられ、滅ぶのを阻止するには 毎日生贄を捧げなくてはならないと言われていました。
有名な儀式と言えば「テスカトリポカの祭り」
テスカトリポカとはアステカ神話の主要な神様です。
↓テスカトポリカの仮面(本物の骸骨にターコイズ等の宝石で装飾されています)
アステカ太陽暦の5番目の月に神テスカトリポカに似ているとされる男性(髪が長く、長身) を選び、なんと生きたまま心臓を抉り、太陽に捧げます。
まず選ばれてから一年間、神様のように扱われます。 そして肌を黒く塗り、花の冠や貝殻の飾り、宝石などを身に着け、4人の美女を妻にします。 選ばれた男性は笛を吹きながらアステカの街をまわります。それを行うことで皆からの尊敬を集められるとのこと。
そして一年後、ピラミット状の神殿に入り、儀式(心臓抉りだし)を行います。
選ばれた男性の死体は遺族や司祭者達が食べます。いわばカニバリズムですね。 骨は楽器や武器に再利用されました。
今思えば恐ろしい、狂気的だと感じる事ですが、けして猟奇的だからという訳でなく その自分たちのために死んでいった人たちを尊んでの行動だったのでしょう。
だとしたら慈しみのある人の命の大事にする事のできる民族だったのではないでしょうか。
人殺してますけどね。
しかし毎日何人も捧げていては人口が減ってしまいます。
アステカは供物という生贄を得るため近くのトラスカラ王国と戦争を始めました。
「征服はしない。しかしとらえた兵士は貰う」 他にも近隣国と戦争をして、生贄を捕まえていたそうです。 国々はアステカ帝国を恐れ、恨んでいました。
しかし、報復はされるもの。
スペイン人が海からわたってくると、トラスカラ王国はアステカ帝国を教え、
国を攻めさせました。
またよくある話ですが、生贄、供物になる人は「喜んで」死んでいったそうです。
理由は「神のための栄光の死」を得られるから。
自分の生き方にコンプレックスのある人は特に自ら進んで名乗り出たそう。
他にも「トラカシペワリストリ」という豊作祈願の祭りを開催します。
簡単に言うと「皮はぎ祭り」 捕虜の皮を生きたまま剥ぎます。
剥いだ皮は司祭者が一か月ほど着るそう。
「太陽神(軍神)ウィツィロポチトリへの供物」
捕虜になった人の心臓を捧げます。
「テクイルウィトントリ」
塩の女神ウィシュトシワトルの祭り。若い女性が女神の化身として祭りの主役となり、塩づくり集団の女性たちと踊る。祭りの最後は、化身の女性と捕虜の男たちが生贄となる。
「剣術大会」
よく戦いを神様に捧げる演武と言うのもがありますが、演じるのではなく、がっつり殺します。
木刀と木の盾を使い戦い、負けたら斬首。何回か勝ったら自由の身に。
「山の眉間」
雨乞いの為、子供を洞窟に連れて心臓を抉ります。 選ばれる子は奴隷だったり貴族だったり様々で、洞窟に連れて行く途中で子供が泣くと 雨に困らないと言われ、泣かない子は爪を剥いで泣かせていました。 もちろん亡くなった死体は食べます。
他にも書ききれないぐらい儀式、というか人を殺す日がたくさんあります。 一応理由をつけて人を選び殺すんですね。
先はどっちだったのでしょうか。人がいて、神話が作られ、人を殺すのか。
はたまた本当に神がいて、血を求めていたのでしょうか。
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